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2008年11月29日

バンコク不動産投資マニュアル

バンコク不動産投資マニュアル

私とタイの出会いは、本当に些細なことがきっかけでした。
ベルギーで挫折した私は、日本で希望が見出せない青年でした。
そんなとき、何気なく入ったタイレストラン。タイ料理の刺激的な味……私はタイ料理のトリコになりました。
何度もタイ料理店に足を運んでいるうちに、タイ料理店のオーナーと親しくなりました。私は、そのオーナーの勧めもあって、初めてタイへ旅行をしました。
その時の衝撃は、今でも覚えています。
心に響く活気、肌にまとわり付く熱気、そして自分に足りなかった元気、とにかく私は、既にタイで生きていく決意をしていました。

バンコク滞在中のある日、何気なく入ったレストラン。
バンコクで親しくなった日本人に「一緒に働いてくれ」と言われました。
バンコクで不動産仲介業を立ち上げるために、スタッフが必要だとのこと。
私は「いいですよ」と、迷いもせずに返事をしました。断る理由がありませんでした。

しかし、タイでの起業・初めての不動産業は、想像以上に厳しいものでした。
営業責任者(といっても、営業社員は私のみ)という立場の私は、とにかく契約をしなくてはいけない。身銭を切って契約をまとめることも日常茶飯事。仕事が終わった深夜から朝方までタイ語を勉強しました。私は疲労困憊で何度も倒れこみそうになったのですが、その時はいつも「ベルギーでの挫折」を思い出し、頑張り抜きました。その甲斐があって、タイ人と仕事のやり取りを、タイ語で対等にこなせるようになりました。
この当時の平均睡眠時間は3時間程度だったのではないでしょうか?
お陰様で、現在まで数千人のお客様に物件のご契約をさせていただきました。
当時、本当に頑張りました。ベルギーの挫折があったので、とにかく同じ過ちを繰り返したくない、そういう思いが強かったのです。
不動産仲介業務の営業として学んだ10年間は、私にとって大きな財産です。

私は、タイに住んでいましたが日本人女性と恋愛結婚しました。
結婚前、妻は日本に住んでいましたが、結婚して現在はタイに一緒に住んでいます。
私は長男が生まれたのをキッカケに、バンコクで独立をしました。
2002年、「峯岸コーポレーション」の誕生です。
起業した当初、資金も人脈も十分でなかった私は、愛する家族のために必死で働きました。しかし、その思いとは裏腹に全くお客様が来ません。
独立して3ヶ月、資金も底を付いていました。
私の気持ちは空回りしていました。
仕事の量と会社の売り上げは比例しない、この頃に実感した現実です。
「現実は厳しいぞ……」と。
私が独立したとき、周囲の人に言われた言葉です。
使い古された、ありきたりな言葉ですが、当時の私には重くのしかかってきました。
独立起業して3ヶ月目、初めてお問い合わせの電話が鳴りました。
私は涙ぐみながらお客様と話したことを、昨日の事のように覚えています。
そのお客様は、峯岸コーポレーションとしての初めてのご契約でした。
この契約前、恥ずかしい話ですが私の貯金は「0」円でした。
家族が路頭に迷う、本当にギリギリのところでした。

お客様のお問い合わせが無いときでも、安定した収入を継続的に得る方法を考えなくてはいけない……貯金0だった私は、必死になってタイの不動産システムを勉強しました。
自分のため、そして家族のためにも安定した収入を得る……今風に言うと「仕組み」を構築していかなければならない、そのように日々考えていました。
私は、とにかくタイで成功したかったのです。

日本に逃げ帰る=ベルギーの挫折と同じになるそれは、自分自身に負けたことになると思っていました。
タイバンコク不動産投資マニュアル




タイで17年間勉強したノウハウ。
私は、異国の地であるタイ・バンコクで0からの起業でした。
不安が無かったかといわれれば、もちろん不安だらけでした。
私は資金・コネは全く無かったのです。
しかし、タイ移住から起業までの10年でタイ語とタイの不動産事情を必死に勉強していました。それが武器になりました。
ベルギーの挫折があったので、それも糧になったのは言うまでもありません。
「人間、どんな経験も無駄はない」、私は本気でそう思っています。

起業後の最初のお客様との契約を機に、私のビジネスは順調に進みました。
それは、『あること』に気がついた、つまりタイの不動産の儲かる仕組みに気がつき、それを確立したからです。タイバンコク不動産投資マニュアル
posted by 不動産投資 at 08:51| 不動産投資 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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